十七日目 フィレンツェ⑤

十七日目

朝に廊下で携帯をいじっていると、すれ違った知らない女の子に

「あなたの前髪素敵!どこで切ってるの?」

と突然話しかけられた。「自分で切ってるよ〜」と言うと

「今から私の前髪切って!あなたと同じように!」といわれ、急遽女の子の前髪を散髪するという衝撃のイベントが発生した。

女の子はとっても可愛くて人懐っこい子で、ヨーロッパでは基本みんな前髪がないからかわからないけど、一度前髪作って見たかったの!と目をキラキラさせていた。

女の子が持ってた全然切れないハサミでなんとか切り終え、心配していなが満足してくれたようで安心した。

そんなイベントのあと、前日にウッフィツィ美術館の予約をネットで済ましていたのでやる気満々で美術館に向かった。

しかし予約していてもだいぶ並んで、予約時間を結構過ぎて入館

24€払っただけあるほどの貴重な作品群。

だいぶボリュームがある展示のなかで、やはり一番目を引いたのはピエロデラフランチェスカ

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基本的に西洋画はとても人工的というか、人間本位である。宗教画も神様を人の形にして壮大なお話にそって場面を作っている状態なので、基本的に自然はそれに従属するような形でしか描かれない。

これは東洋と大きく違う部分だと思っている。特に日本画は自然主体で描かれることが多く、人間の立場というのはちっぽけだという位置づけがされることが多い

それに対し西洋は、神が世界を創生したので、神の支配下に自然が位置していることが多い。

それと風土の問題も大きいだろう。イタリアは特に土地が痩せているわけでもなく豊かで、平地も多く、晴れの日が多くて湿度も低くて腐りにくい、災害がとても少ない。果物はたくさん成るし、自然に脅かされることも少ない。それゆえに人間の帝国を築きやすく、ヒエラルキーのてっぺんに人間が降臨することになる。

それに対して日本はどうだろうか。四季の変化がとてもはっきりしていて、多湿ですぐ腐りやすいし、台風大雨地震と天災が頻繁に起きる。そんな中で人間は生きていかなければならない。ころころと変わる自然に人間が合わせて柔軟に。人間が築いたものなんて自然によって一瞬で消え去るのだから。ヒエラルキーのてっぺんには自然が降臨している。

前置きが長くなったが、西洋画はそういった意味で見続けると息が詰まりそうになることがある。その強烈なある意味で愚かな人間の創造性が西洋の強みなんだけど、あまりに人間が主体すぎて…

しかし、ピエロデラフランチェスカは人を感じさせない。たしかに人を描いてはいるんだけど、もっと精神は根本にあるような不思議な感じ。グレングールドのパルティ―タを聞いているようなもっと純粋で記号的なかんじ。さらに大きな仕組みに尊敬を払っているように見えるので人の奢りを感じさせない

その感覚が重要…私は人間はとっても愚かでちっぽけな存在だと思っているし、最終的に絵で描きたいのはそういった愚かさを包んでいる世界への敬意と畏れみたいなものかもしれない

他のは、構図や画面のおもしろかったもの。

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空間がおもしろい。

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ジョットの描く天使もなんだか本当に人間味がない

ルネサンス以降の絵画を結構好みじゃない気持ちが先行して食わず嫌いしてるところもあるからもっと歴史を勉強しないとなと思った。

ウッフィツィの1階で行われていたドイツのアーティストの彫刻やドローイングの展示がめちゃくちゃ良かったんだけど、名前を覚えたはずが検索しても出てこない、もう一度あとで美術館のサイトを見たりして探そうと思っている。抽出の仕方がとっても上手かった。

ウッフィツィにだいぶ長く居て、気が付くと夕方に。

この日も宿ではこそこそして、相部屋の人が帰ってくる前に寝た。相部屋の住人は大体日を跨いでから帰ってくるし、その分朝も遅いので生活のタイミングがずれたことによって一人の時間をなんとかキープできてほっとしていた。(一人大好きマンなのでそういった時間がないとストレスがマックス)